Practiceの意味。少し前、私の慕っていたアシュタンガの先生のクラスがなくなったと知った。 夏休みはママ業専念のため、ずっとスタジオに行けなくて しかも、家族旅行、更にはハムストリング絶不調で、ストレッチしか家で出来なかった。 9月! もうすぐ、あの先生と一緒に出来る♪ と思って、タイムスケジュール確認したら・・・・ げっ、クラスがなくなってる。 先生にメールしてみたら、やっぱり今のところあのスタジオのクラスの予定はないって。 あーーーーー、一気にやる気も急降下。 もうすぐ、ケン先生のTTだってのに、身体はガチガチ、ハムストリング痛も気になるし。 ふと、あのブログのあの記事を思い出した。 Miwa2さんがブログHEADING NOWHEREで翻訳してくれているあの記事 それを読んだ時の衝撃はすごかった。 そして、その記事からKinoに興味を持って、彼女の言葉を読んでいくうちに 尊敬の念を抱くようになったんだ、彼女は本当に努力家で誠実な人なんだと。 はー・・・とかふぅー・・・とかなんて、ただのしょーもない言い訳で、 言い訳して自己嫌悪して、それで結局自分を許してるんだ、甘えてるんだ。 The Impossible Becomes Possible by Kino MacGregor http://www.miamilifecenter.com/index.php?page=articles#q1 より 心の平安、その保障は決して簡単に手に入るものではありません。 自身の内面を探求する旅路を、誤魔化したり、拝借したり、嘆願したりすることもできません。 新たな自分のあり方への一歩を踏み出す努力、それは単純なスイッチのオン/オフとは異なり、 あなたは新たな希求の山に立ち、長く険しい頂上への道のりを目の前にすることになります。 何年にも渡る努力と忍耐、そして勤勉によって、あらゆるものが可能となりますが、大抵の人は、 このような逆境に直面すると、辞めてしまったり、そこそこの結果で妥協し、良く知られた簡単なルートを選んでしまいがちです。 その方法になんら間違いはありません。しかし人生そのものと相互作用するこのメソッドには、 あなたが実際に自分の人生を最大限の可能性をもって生きるための、さらにパワフルなやり方もあります。 ヨガは不信や疑惑という道のりを経て、人生を成し遂げる道へと、私たちを導いてくれます。 ヨガマットという限られたスペースの上で、我々ヨガプラクティショナーは、呼吸と姿勢と視点を統合させながら、難しいポーズや動きを、何度も繰り返しチャレンジするよう求められます。 クリシュナマチャリアはヨガを、「不可能」が「可能」となり、そして「可能」が長い時を経て「容易」となってゆくプロセスである、と表現しました。 多くのプラクティショナーが陥りやすいのは、「不可能」から一気に「容易」へ向かおうとする時に起こるつまずきです。もしあなたが「不可能」な動きに挑戦しながら、一気にそれを「容易」に行えるよう望んだとしても、間違いなくそれは失敗に終わるでしょう。 なぜなら、変化というものは急速には起こらないからです。その代わりに、まずは「不可能」を試すことから始め、その難しさが何を教えてくれるのかに、任せてみることです。 学びが発生する、この醜く居心地の悪い場所に、まず留まってみてください。次第にその「不可能」自体が、どのように可能へと変化していくのかを、垣間見せてくれるでしょう。ほとんどの人が、初めての挑戦で、ポーズや動きを優雅にこなすことはできません。軽く、自由で、容易に見えるポーズの保持は、何年にもわたる苦難や失敗、そして痛みからなるものです。あなたがヨガという内面の探求へと乗り込むとき、 それはまさに不可能という大いなる山の麓から始まるプロセスであり、ゆっくりと、粘り強く、確実で、強固に、克服できないハンディキャップと奮闘しつつも、マンモスのような巨大なものに立ち向かうがごとく登り続けるようなもので、そこに変容のパワーが秘められているのです。 直面しがたきを直面し、征服しがたきを征服し、自分の中の絶大なる恐怖の源に立ち向かうことで、自ずと自身を経験するためのアクセスが開き、単なる奮闘自体を超えていくことになります。それは自身の内面に、永遠に平和的で、パワーに溢れ、愛に満ちた場所があることを経験するという、ヨガの本質そのものです。軽く、自由で、容易なアサナというのは、単なる誘惑の問題です。ヨガは教えてくれます。限界のある世界という幻影を超越することによってのみ、それらの偽りの境界線を越えることができる、と。それはプラクティスにおいて、そして実生活においても同様です。あなたがおこなうすべてのポーズ、すべてのムーブメント、そしてすべての呼吸が、あなたの存在そのものの本質を定義しなおすことでしょう。ある意味ヨガとは、セルフエンパワーメント・自己実現の、もっとも根源的な道程なのです。 あなたが特に難しいポーズに挑戦するとき、それは、自身の疑い、恐れ、痛み、嫌悪、倦怠、フラストレーション、エゴといった内面の旅と共に、いくつもの障害と対峙し、そして通り抜ける、という良い機会でもあるのです。これらの困難はたびたび、パニックや否定、逃避といった、自分の中に植えつけられた反応パターンを呼び起こします。中には、救済者に代替わりしてくださいと祈る人もいます。しかしヨガはつつましい謙虚さへの道程であり、あなたは自ら成したことの結果を手にするのみです。あなたに代わって、ポーズや練習を行ってくれる救世神などいません。周囲にはあなたを導きインスピレーションを与えてくれる先生達がいるでしょう。しかし彼らにできるのは、あなたが自分自身でマットを広げることの、その手助けでしかないのです。 アシュタンガヨガはハタヨガのダイナミックな流派で、週に6日間もマットを広げるようあなたに求めます。 時にアシュタンガヨガはあまりに多くを強要しすぎて、人々を怖がらせることすらあります。 私がアシュタンガヨガを始めた頃は、他の人々と同じように、体中がいつも痛く、特に優れていたわけではありません。多くの人々が、プライマリーシリーズのプルッツェルみたいなポーズを簡単に行う柔軟性がないからといって、アシュタンガヨガは自分のためのヨガではない、と思い込んでしまいます。 私もまた最初のうちは、アシュタンガヨガガ求める超人的な力強さや、ガンビー人形のような柔軟性も持ち合わせていませんでした。しかし長年にわたる、心からの誠実な練習を通して、私はそれらを学んできました。 アシュタンガヨガを行う資格があるとしたら、あなたの練習に対する愛情と、可能な限りマットの上に立つ能力、それだけです。あなたがどの段階のポーズを練習しているかは問題ではありません。 なぜなら、ヨガの内面的な効果は、内面の平安への真の希求によってのみ育まれるからです。 ヨガの探求の中で、最初に経験することのひとつとして、どれだけ自分自身が、自分の想定からかけ離れているかを知ることでしょう。 平和的な人生であろうと、チャレンジングなポーズであろうと、ヨガは内から外へ働きかけ、あなたが自分自身を信じ、そして目標を達成するために必要な自信を手に入れる力となります。ポーズはとても大変です。 それは「ポーズが難しいからヨガが深まる」ということではなく、あなたが自分の限界にチャレンジするときに、急激な成長が生まれるからです。ヨガの深さはハートの中で起こります。肉体的な形態は関係ありません。真のヨガは常に内面レベルで生起し、それは深い愛情や忠誠、そして身を捧げる献身を通して、ヨガがなしうる変容へと向かう、精神的な実践となるのです。アシュタンガヨガは固い体に曲げろと、柔らかさに強くなれと、求めてきます。それは 安全、可能性、快適さについての医学的見解を超えた、心と肉体の限界への挑戦です。そうすることによって、プラクティショナーは文字通り意識を広げ、自身のマインドセット如何で何事をも為し得ることを学びます。しかしヨガは魔法のタブレットではありません。あくまでも、あなた自身の努力を通してのみ、心身を浄化しマインドを広げることができるのです。ヨガは、あなた次第で効用の強さが変わり、あなたが心から希求する深さまで、あなたを連れていってくれることでしょう。
by lalita
| 2010-09-06 05:55
| Yoga
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by coco
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